髪切りに行った。美容師のお姉さんに『短くして下さい』と言ったら笑顔で髪摘まれて『短いですよ』って言われた。(本文とは無関係)

2003年1月19日

 ここ最近の更新でアレンジの仕事の話を何度かしましたが,今回のその仕事ではやぢまは編曲と演奏の一部のみを任されておりまして作曲家の方は別にいらっしゃるんですよ。ソロでアコ-スティックギターの弾き語りをする方でして私とは畑の違う方なのですが,この方の自作曲のレパ-トリーの数が凄くて「すぐ歌えるのは多分50曲くらいですね」との事。その中の3曲を別の方に歌ってもらうために提供して下さった訳なのですが,例えば私達が出来上がった曲を五線紙上で簡単な譜面に認(したた)めて持ち歩くのと同じように,この方は普通のクリアファイルに何十曲もの自作曲の歌詞を書いた紙を入れて持ち歩いている訳です。まだ新しい曲は本当に走り書きをしてちぎっただけのメモ用紙が,熟成した曲はきれいな紙に手書きで清書されてファイルに綴じられているのですがそれぞれの紙に書いてあるのは本当にタイトルと歌詞だけで,音符はおろかコ-ドすらもメモされていない。もともとその方は譜面にそれほど強くないらしく,本人曰く「自分で何のコード押さえているかすらよく判っていないですから(笑)」ということらしいのですが,それでもその人がそのファイルを見ながら,否,ファイルなど見ずとも「この曲を歌おう」と思うだけで何十曲もあるうちの殆どの曲はギターを弾きながらそらで歌えてしまう。そして一つ一つの曲には,それぞれ違う色彩を持ったメロディーと詞がちゃんとあるんです。

 こういう方々にとっての「自分の創った曲」というのは例えば私なんかが「んーこれだと面白くないのでココはこのコードにしてひねりを加(略)」などと考え考え作った曲よりもずっと直截でスピリチュアルなものだと思うんですよ。お気に入りの曲などはきっと「神聖にして侵すべからざるもの」なのかも知れない。私も自分の曲なんかは譜面を見なくてもだいたいその内容を覚えていますが,実際にそれをライブで演奏する時にはやっぱり目の前に譜面を置かないと落ち着かないですし,ましてや書き留めた譜面そのものが存在しないなどというのは何だかせっかく考えた細かい部分を少しずつ忘れてしまいそうできっと物凄く不安になると思います。 実際その方が自作曲を自分で歌っているのを何度か聴かせてもらうと,月日を経て細かい歌い回しや歌詞の内容すらも少しずつ変わっていく事に気付かされます。しかしその方が凄いのはその変遷にもちゃんと一つ一つ意味があり,「あ,またここがカッコよくなってる」と毎回思わされてしまう事。私も一つの作曲に対して暫定版や改訂版の譜面を作る事はありますが,そんな作業よりももっとリアルな意味で「曲が生きて成長している」訳です。

 私のやっているような音楽活動ではいろいろな場面で楽譜の存在は必要不可欠であり,それ自体の意味を否定する事など到底できません。楽譜に盛り込める情報ですらその曲の必要最小限の情報でしかなく,だからこそ同じ楽譜を違う人が演奏して面白い訳ですし。…というのはちょっと脇道の話ですが,「楽譜に使われて曲を作っても仕方がない」とでも言えばいいのでしょうか,たとえ自分自身は五線紙を使って曲を作ろうとも,「コ-ドや音符なんか書けなくても良い音楽を作れてしまう人」のスピリットを少しでも見倣えたら,などという事を考えさせられた日々でした。

 

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